和田倉門跡・和田倉橋の秘密に迫る!

 

皇居の和田倉門跡・和田倉橋の見どころ!

和田倉橋 皇居一般参観ツアーに参加する場合、大手町駅からこの和田倉橋、和田倉門跡を通り、桔梗門で待ち合わせになります。現在の和田倉橋は復元されたものになりますが、当時の様子をうかがい知ることができます。当サイト(ヒストリーガイド)の皇居観光ガイド決定版ではこの和田倉門と和田倉橋に焦点を当てて、見どころに迫ります。

(この記事は約2分で読めます)

 

 

和田倉門の由来は、「蔵」と「海」の掛け合わせからきています。

 

海(うみ)は「わた」とも読みますので、「わた」「くら」を合わせて慶長12年(1607年)ごろから「和田倉」とよぶようになったといわれています。


目次

なぜ「和田倉(わだくら)」なの?

海の「わた」と蔵の「くら」の掛け合わせと言いましたが、なぜ海と蔵がでてくるのか?が疑問ですよね^^;

 

実は和田倉門があるこの地域は徳川家康が江戸に入府、つまり都にはいった当時は日比谷の入江でした。そして徳川家康はここを「蔵地」としていたため、その名残からきています。

 

なお、江戸時代になると和田倉門は「蔵の御門」とも呼ばれていたそうです。

 

解体撤去された和田倉門

和田倉門跡

 

和田倉門は現在、石垣のみになっています。

 

これは、関東大震災で大きな被害をうけたため、和田倉門は解体撤去されてしまいました。


和田倉門は和田倉橋から手前を「和田倉渡櫓門」と呼び、奥の門を「和田倉高麗門」とよびます。高麗門に関しては太平洋戦争の時に空襲で焼失してしまった半蔵門の代わりとして移築されました。

 

それは昭和23年(1948年)のことで、つまり現在の「半蔵門」は「和田倉高麗門」ということになります!

 

和田倉橋は鉄筋コンクリート造り!

関東大震災で被害を受けたのは和田倉門だけでなく、和田倉橋も例外ではありませんでした。

 

そこで昭和28年(1953年)に外観が復元され、基礎部分が鉄筋コンクリート、外観が木の橋に生まれ変わりました。ちなみに現在の和田倉橋にある擬宝珠(ぎぼし)は江戸時代のものを使っています。

 

以上、和田倉門跡・和田倉橋の見どころとは?...という話題でした!

 

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