日本百名城の1つ、山中城跡を観光!

 

小田原城の防衛線!北条氏の山城、山中城跡を観光

 

山中城跡

 

小田原城の防衛の要!山中城跡を観光

現在、静岡県三島市に存在する「山中城跡」!

 

その歴史を辿りますと、永禄年間(1558年?1570年)に北条氏康により築城されました。標高580mの箱根山中に、東西1.7km、南北2.6km、約20haの面積を有し、西側には駿河湾と富士山を一望におさめ、伊豆にある韮山城までも眺められた堅城です。城は東海道を取り込む形で造られ、北条氏の本拠地である小田原の西の防衛を担う最重要拠点でした。

 

北条氏政の代に豊臣秀吉との関係が悪化すると、山中城は改修し防御を固めることになりますが、結果間に合わず未完成のまま豊臣軍を迎え撃つこととなります。1590年(天正18年)、小田原征伐で豊臣秀次率いる7万人の軍勢が山中城を攻撃、対する守将は北条氏勝ら3千人。戦力差は歴然で、猛烈な力攻めの結果わずか半日で落城し、戦後、城は廃止されました。

 

1930年(昭和5年)に国の史跡に指定されると、1973年(昭和48年)から三島市が公園として整備をはじめ、2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(40番)に選定されました。現在では多くのハイキング客や観光客が訪れています。山中城を訪れると昔戦った合戦の地として容易に想像することが出来、そこに訪れるだけで在りし日の豊臣の軍勢と北条の軍勢の声が聞こえてきそうです!

 

見所は障子掘りなど復元された遺構!

山中城跡地

 

山中城跡を訪れると実にきれいに整備され、歩いているだけでもワクワクしてきます♪

 

石を使わない土だけの山城は全国的にも珍しく、沢山の見所を持っています。1つは障子堀(しょうじぼり)と呼ばれる障子の桟(さん)のような縦横のあぜ道を持つ横堀や木製で再現された本丸と北ノ丸を結ぶ架け橋です。

 

名前の由来は障子の桟(さん)のように見えるところから。ここは用水池を兼ねた水堀で、山城では非常に珍しいとなっております。障子掘は、畝の部分が複雑なので、敵にとっては動きも制限される仕組みになっていました。

 

もう1つは、畝堀(うねぼり)と呼ばれる空堀の堀底に土手を掘って、直交に区画したもの。

 

畝堀の名前の由来は、畝(うね)のようにみえることから。敵が攻め込むためには、畝の道上の部分を歩く必要があり、一列になって進むしかなく、守備側はその手前を重点的に守れば良いので非常に効率的な防御が可能な作りとなっております。

 

興味深い場所として、西櫓堀には畝の幅が約60cm、堀の深さは2mとあり、畝から堀底に落ちたら畝に登るのすら大変でした。また、このあたりは富士山等の火山灰が多く積もっているいわゆる「関東ローム層」で、人が落ちるとズルズルと崩れて滑り、一度落ちたら脱出は不可能な蟻地獄のような状態だったと言われています。

 

現在は芝生と樹木の植樹で崩れる心配はありません。ここ山中城跡は本当に、歩くだけで昔そこに自分がいたのではないか?という錯覚さえ覚えてしまうほどです。また、富士山・駿河湾を始め、広大な自然を一望でき、季節には、ツツジ・アジサイ・スイレンが楽しむことが出来ます。沢山の見所を持つこの山中城に、一度足を運んでみてくださいね。一見の価値ありです。

 

山中城跡を巡るバスツアーもあります

 

現在のハイキングブームやお城ブームなどもあり山中城跡を含むバスツアーもあります。

 

場所的に山の上に存在するため、訪れるには車やバイクが必須です。

 

もしあなたが交通などを気にせずに山中城跡など歴的建造物
そのものを楽しみたいならやはりバスツアーがお勧めです♪

 

また、先ほどご説明したように山中城跡は小田原城の防衛線といて機能した山城です。

 

ここから、山中城 ⇒ 石垣山一夜城 ⇒ 小田原城

 

等を巡ればさらに歴史を深堀りすることができ、感慨深いものがあります。
日本にはまだまだ訪れていない素晴らしい城跡や名城が存在しています!

 

あなたも在りし日の歴史ロマンを感じてみませんか?

 

きっとこそこを訪れるとあたかも自分が昔そこにいたかのような錯覚を覚えるかもしれません^^

 

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